しあわせな気持ちという内部状態の表現
こんばんは、結城浩です。
今日はとてもやわらかな風が吹くいい天気でした。でも、もうすぐ朝晩が冷えるらしいので注意しなくては。
夕食の支度。YouTubeで適当なジャズを流して、デカフェのコーヒーをマグカップで飲みながら、サラダを作ります。しゃきっと冷たいレタスを手でちぎっているとき、私はとてもしあわせな気持ちになるんだと言うと、あなたは本当にしあわせな人ねえと彼女は笑います。
今日の夕食はサーモンサラダ。冷凍していたサーモンのサクを解凍してスライスし、いつものサラダにトッピングしていただきました。彼女がフレッシュなレモンを絞るのを思いついたので、とても美味しい夕食になりました。
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今日は木曜日なので一日中Web連載「数学ガールの秘密ノート」を書いていました。数学ができない数学ガール、ノナちゃんの物語です。ええと「数学ができない数学ガール」というキャッチフレーズは役割を固定的に考えすぎていてあまりよろしくないですね。「自分で考えることや、考えたことを表すのに慣れていない数学ガール」の方がノナちゃんの実態に近いと思います。
ともあれ、ノナちゃんの物語を書いていました。数学的な内容は難しくないのですが、彼女と「僕」とのやりとりは別の意味で難しいです。数学の深さというよりも、考えることの深さに触れようとする難しさがあります。
考えるというのはとても個人的で内面的なプロセスであり、実際には自分自身のことしかわかりません(自分自身ですらわからないかも)。そんな状態で、他の人が何を考えているかを考えるのは難しいですよね。ましてや当人が自分の内部状態を表現するのに慣れていないならなおさらです。
その意味で、ノナちゃんの物語を書くことは私にとって大きな挑戦でもあり、何ともいえない面白さを持つ活動でもあります。「僕」も大変かもしれないけれど、私も大変なのですよ。
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『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』が手から離れたので、何か書きたいという気持ちが高まりつつあります。ちょっとした電子書籍でも作ろうか、何か新しい物語を書こうか、それとも次の本をとっとと進めてみようか……そんな気持ちになっています。
それと同時に、何か新しいことを学びたいという気持ちもあります。長期的な意味を持つものを学びたいな、と。それは必ずしも本を書くためではないのですが、でも結果的には本を書くために学ぶのが一番効果的ではないかと思ったりもします。
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今日の私は、こんなことを考えています。
今日のあなたは、どんなことを考えていますか。
それでは、また。