数歩下がって全体を見渡して
こんばんは、結城浩です。
『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』が刊行されてから、いつもと違うモードの頭を使う時間が多くなっています。端境期とでもいうのでしょうか。一冊の本が完成したところから、次の本を書き始めるまでのあいだの時間のことです。
ここ数日は2021年度の執筆プランをあれこれ考えたり、編集部と情報・意見を交換したりという作業を行っていました。楽しくもあり、難しくもあり、自由なようでありながら、たくさんの制約がある。そんな思考を繰り返しています。
あなたは、いかがお過ごしでしょうか。
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先日『数学を学ぶあなたへ』という結城浩ミニ文庫を出しました。これは早稲田理工展の有志企画に寄稿したごく短い文章をまとめたものです。編集なさった方から次の三つの質問をいただき、それに対する回答になっています。
質問1. ご自身が学生のとき、どのように数学に向き合ってきましたか。
質問2. いま、ご自身にとって数学はどのような存在ですか。
質問3. 数学を勉強している学生に向けて、どのようなメッセージを送りたいですか。
こういう種類の文章は、たとえば数学の問題を解くようなものとは違いますし、Web連載を書くのとも違って書くのが難しいですね。自由度が高すぎるというのでしょうか。何をどう書けばまとまるのかというところから改めて考える必要があります。
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結城が文章を書くときには多くの場合、最初に思いついたことをまず書いてみるようにしています。一つの単語でもいいし、何かのエピソードでもいいし、あるいはまた単なる事実の列挙でもかまいません。とにかく何かを書く。
次にいま書いたものを読み返します。すると自然に、それに対する疑問や反論や具体例などが思い浮かびますので、それについて書きます。そしてさらに……という具合に文章を書き進めていけば、それなりに一連の文章はできあがります。
でも、それで終わりにしてしまうと、単に流れているだけの文章になってしまいます。局所的にはつじつまが合っているし、ふつうに読める。でも、だから何だというのかという種類の文章になってしまいます。
いったん書き終えた後、私はもう一度最初から読み返します。もう一度といわず、何度も読み返します。そして「この文章は全体としてはいったい何を言ってるのだろうか」と考えます。ちょうど画家が数歩下がってキャンバス全体を見渡すのに似ているかもしれません。
おもしろいもので、多くの場合、全体に通底する「何か」が見つかるものです。おそらくそれは「私」という一人の存在がいるからなのでしょう。表面に現れた文章の背後には私がいる。心の中で何かを思っているからこそ、一人の人が書いた文章が生まれる。
だから、文章を読み返すというのは、いわば、数歩下がって自分の足跡を眺めているようなものですね。
実は、そのようなプロセスは、質問に回答するような短い文章を書くときでも、数百ページに渡る本を書くときでも同じかもしれません。そのようなプロセスというのは、書き終えた後に数歩下がって全体を見渡すプロセスのことです。
ねえ、この文章は全体として、何を語っているんだと思う?
そんな風に自問しつつ、全体に通底する「何か」を見つける。そして見つかったならば、それを意識しながらあちこちを手直しする。そんな作業を行います。
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本を書く端境期にいる現在は、さらに数歩あるいは数十歩離れて全体を見渡そうとしているようです。一冊の本に何が書かれているかを見渡すのではなく、これまでに書いてきたたくさんの本を見渡すのです。
ねえ、この本たちは全体として、何を語っているんだと思う?
そんな風に自問しつつ、全体に通底する「何か」を見つける。そして見つかった「何か」を手がかりに、次に書く一冊についてのプランを立てていくのでしょう。
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今日の私は、そんなことを考えています。
今日のあなたは、どんなことを考えていますか。
それでは、また。
どうぞよい週末をお過ごしください。