執筆における記憶のコントロール
こんばんは、結城浩です。
いまは夕食が済んでまったりしている時間です。このメール日記を書くのはこの時間になることが多いですね。今日の夕食は昨晩作った豚汁の残りと香ばしい黒ごまをかけた玄米を少々いただきました。豚汁には山椒が利いた七味をぱらぱらと入れました。
あなたは、いかがお過ごしですか。
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昨日の土曜日にようやく『数学ガールの秘密ノート』第15作目(NOTE15)の第1章本文が書き上がり、レビューアさんに送りました。おかげで今日の日曜日はずいぶん気分的にゆったりと過ごすことができました。今週からNOTE15第2章の執筆に掛かります。
結城は数十人のレビューアさんに章単位でPDFを送り、その内容をレビューしていただいています。ひとさまに見せるものとなりますので、少なくともそれなりの品質でひとまとまりになった文章を作る必要があります。ということで、レビューアさんに第何章まで送ることができているかは重要な進捗の指標になるわけですね。
実際、結城が編集部に進捗を連絡するときも「レビューアさんに第X章まで送っている状況です」のように表現することがしばしばあります。まあ、実際には編集部は結城のツイートを読んでいるため、すでに進捗を把握している場合も多々あるのですけれどね。
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執筆では記憶のコントロールが重要。最近はそんなことをよく考えます。
記憶のコントロール?
一つの章を執筆しているときにはどこに何を書いたかを覚えている必要があります。たとえば、ある説明を書こうとしたときに、その前提となる概念をすでに読者に伝えたかどうか。それは重要な情報です。「えっと、これはすでに説明したんだっけ?」と毎回文章を読み返さなければいけないとしたら、たいへん長い時間が掛かってしまいます。その意味で記憶は重要です。
難しいのは何でもかんでも記憶していればいいというものではない点。必要に応じて記憶を消す(忘れる)技術も必要になります。結城がよく《著者の帽子》を脱いで《読者の帽子》をかぶるという比喩で表現する話題です。
自分が書いた文章を読者が読んだときにきちんと理解しつつ読むことができるかどうか。その確認のためには《読者の帽子》をかぶって読む必要があります。それはとりも直さず、著者として記憶している内容をいったん忘れてしまうことです。忘れておいて、文章に書かれたものだけをもとにして自分の理解を構築しようと試みる。それがまさに《読者の帽子》をかぶって読むときの態度です。
ですから、記憶しておくべきことはきちんと記憶するけれど、必要に応じて記憶を消してしまう(消えたことにしてしまえる)技術が必要になります。それが「記憶のコントロール」なのです。
記憶のコントロールは何のために行うか。それはシンプルです。それは読者の心の中に伝えたい内容を構築するためです。
と、ここまで書いてきて思いだしたのですが、この内容は、現在執筆途中でストップしている『数学文章作法』の第3作目(執筆編)に書いている内容になる予定です。執筆編もきちんと進めないといけませんね。
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今日の私は、こんなことを考えています。
今日のあなたは、どんなことを考えていますか。
もしもお時間がありましたら、どんなことでもお返事をいただければ感謝です。
それでは、また。