「こう書けばいい」と「実際に書く」との間には天地の差がある
こんばんは、結城浩です。
最近はずっと「数学ガールの秘密ノート」シリーズの第15作目(NOTE15)の第5章を書いているわけですが、つい先日まで不思議に思っていたことがあります。
毎朝「この調子だと、もしかしたら今日は第5章を書き上げるかもしれないぞ、わくわく」と思い、毎晩「いやいやこれじゃ全然だめですね。今日はここまで」と思うのです。
要するに、残り作業の見積もりがよくできないのです。いや、もう少し正確にいうと「頭の中では残り作業が把握できているけれど、現実にそれを実現することとの乖離が大きい」のかもしれませんね。
「こう書けばいい」と「実際に書く」との間には天地の差があるのです。
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アウトラインを作り上げるのと、内容を実際に満たすのはまったく違うレベルの作業である、のように表現することもできるでしょう。アウトライン、つまりこの章の中にはこういう項目をこういう順番で書いていくぞという流れはよくわかっているのです。しかし、実際に肉付けし、膨らませてみると何かが違う。
いちおう書き進めてはみるのだけれど、どうもしっくりこない。アウトラインを眺めているときには気付かなかった引っかかりが気になる。しかたがないので、最初から読み返して文章を整えてみる。何がおかしいのかよくわからない。でも何かがおかしいことはよくわかる。
当然ながら、そういう状態というのは気持ちがすっきりしません。どこかに何かが引っかかっている。それを見ないふりして完成させちゃうこともできるのかもしれないけれど、それをやると絶対に後悔する。なのでもう一度最初から読み返して考える。悩む。
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先日までの第5章はそんな感じでした。数日前に「もしかしたら」と気がつくことがあり、そこからは急激に気分が楽になりました。かなり楽になりました。自分が正しい道に戻ってきたことを確信したからです。
気付いた「もしかしたら」が何であるかを説明することは難しいのですが、お話の流れに「ねじれ」があるとでもいえばいいでしょうか。自分の中では一貫性があると思って書いていたのですが、それはどうやら独り善がりといいますか「理屈が通ればいいだろう」というわがままだったようです。
一貫性を与え理屈を通せばいいだろうと、自分の都合に合わせてお話を進めていたために、いつのまにか「ねじれ」が生まれていたようですね。なまじっか一貫性があるから、読み返しても「ねじれ」になかなか気付けなかったのです。
その「ねじれ」を解きほぐすことにしたら、見通しがずっとよくなりました。気付いてみれば「どうしていままで気がつかなかったのか」と首を傾げたくなるほどすっきりです。
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それにしても「どうもしっくりこない」という感覚があるのはありがたいことです。「気持ちがすっきりしない」や「何かが引っかっている」といった感覚があるおかげで「ねじれ」に気付くことができたわけですからね。
そして、アウトラインを書いただけではその「ねじれ」には気付けなかった。それはひとえに私の理解不足が原因ですけれど、ちゃんと書こうと意識して書いていると、おかしな部分があぶりだされてくるのはうれしいことです。私はよく「本を書くことは最高の学び」と思っているのですが、さもありなん。
まだ第5章の完成には時間が掛かりそうですが、もうこれで大きな障害はない(はず)です。あとは進むだけ。がんばっていきたいと思います。
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今日の私は、そんなことを考えています。
それでは、また。