あいだをあける、意味もある。
こんばんは、結城浩です。
最近は「どよどよん」とした天気が続いていて、昼間も何だかぼんやりとしてしまうことが多いです。低気圧がやってくると眠くてしかたがありません。身体も重くなりますし、頭も回りませんね。梅雨、なんでしょうね。
現在は『数学ガールの物理ノート/ニュートン力学』の初校ゲラをせっせと読んでいます。今月末までに著者校正を終えて編集部に送り返すというスケジュール感で進んでいます。残りの検討事項は、ええと……(ここで調べに行く)……313個ありますね(!)。
天気が悪いと頭も回らないので、原稿を読んでいるときもなかなかちゃちゃっと進まない場合があります。昨日は第3章を読み返してiPadで朱入れをしていたんですが、その日のうちにLaTeXファイルへの反映をする気持ちになれず、作業が今日にずれこんでしまいました。
やれやれ……と言いたくなるかと思ったのですが、実際には、予定がずれこんだことが功を奏する事態となりました。
原稿に朱を入れてからファイルに反映するまでに、あいだが一日あいたことになります。そこで私の頭はいったんリセットされ、今日のファイル反映では新鮮な気持ちで自分が入れた朱を読み返しました。「ここはこう直す」「あそこにはこれを加筆する」……自分が書いたそのような指示を読んで、タイプするのが「ファイル反映」の作業です。
いつもならパパパパッとファイル反映しちゃうのですが、じっくりと読み返してみると「この修正は、むしろしない方がいいのでは?」と感じることや「この加筆はがんばりすぎ。むしろ読者に負担となりそうだ」と感じることが多かったのです。
原稿に朱を入れるというのは、基本的に原稿の誤りを直す行為です。しかしながら、よく考えてみると、朱を入れること自体が誤っている場合もあるわけですよね。調子に乗って勢い込んでやり過ぎる、誤りをおかすことだってあるのです。
原稿を書くときに大事だと思っているのは、多様な視点に立つことです。一人で書いているので、どうしても自分一人の視点になってしまうからです。今回、たまたま天気が悪くて気分が乗らなかったせいで、朱を入れてからファイル反映までに一日あいだをあけました。それによって私は「朱を入れたときの自分」とは別の視点を手に入れたともいえるでしょう。
仕事がちゃくちゃく進むのに越したことはありません。しかしながら、思ったように進まないときであっても悲観したものではないな、と思った次第です。
今日の私は、そんなことを考えています。
そういえば、この「結城浩のメール日記」をあなたに送るのも久しぶりですね。
あなたは、いかがお過ごしですか。どうぞよい週末をお過ごしください。
それでは、また。