思い描くことと書き表すこと
こんばんは、結城浩です。
先ほどふと「思い描くことと書き表すこと」というタイトルが降ってきたので、それについて書こうと思います。
最近はずっと『数学ガールの物理ノート/ニュートン力学』の初校ゲラに取り組んでいるのですが、読んでいるうちに「思い描く」ことが多いのに気付きました。登場人物が何かを思い描くのではなくて、読んでいる私自身がいろんなことを思い描くのです。
今回は物理学のお話ですので、ボールを投げたり、重いものを持ったり、バネを引いたりします。そういう場面が出てくると、その様子を心に思い描くことになります。当たり前の話です。
ボールが動く様子を思い描いたり、重いものを持つときの感触を思い描いたり……そういうことを心の中で行います。よく考えると不思議なことですよね。言葉で書かれたものを読んで、たとえ実際に目の前にないものであっても想像することができる。それが「思い描く」ということです。
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そして、そこからもう一歩進んで、こんなことも思いました。
何かを「書き表す」ためには、それより前に「思い描く」ことが必要だな。
何もないところから、何も考えていないのにいきなり文章を書き始めることはできません。いや、厳密にはできないわけじゃないけれど、すぐにストップしてしまいそうです。
ぼんやりとでもいいから、何かを心に「思い描く」。そして思い描いた何かが、かき消えてしまう前に何とかしてつかまえて「書き表す」。そんな順番があるように思うのです。
思い描いているものは、そんなに明確なものではありません。とらえどころがないイメージだけの場合もあります。微かにゆれる感情の場合もあります。ふわふわした印象の場合も、あるいは逆にハードでソリッドな感触の場合もあります。
いずれにせよ何かを思い描き、それを何とかして読む人に伝えようとして書き表す。
そういう二段構えになっているみたいです。二段構えというのは言い過ぎかもしれません。そんなに明確に「はい、思い描きました。では、書き表しましょう」と分かれているわけじゃないからです。
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文章を書くことを考えるとき、つい「書き表す」ことだけに注目してしまいがちです。どんなふうに言葉を並べるかを考えてしまう。でも、その前段階としての「思い描く」ということも負けず劣らず大切かもしれません。
言葉になる以前の部分なので、言葉にすることは難しいのですけれど「思い描く」ことをないがしろにしてはいけないな、と思うのです。
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今日の私は、そんなことを考えています。
それでは、また。