数学は音楽に似ている
こんばんは、結城浩です。
数学というと、学校の授業や試験で苦しんだ経験を持っている人や、数式を見ると頭が痛くなるという反応を示す人もたくさんいるようです。その一方で、数学大好きな人や数学ファンの人もたくさんいます。
そして、そのあいだ(という表現は変ですけれど、便宜上ゆるしてください)に、数学はさっぱりわからなくて苦手なんだけど「好きになりたい」「魅力を知りたい」「憧れる」という人もいらっしゃいますね。
先日、数学がよくわからない人に数学の魅力をざっくり伝えるという話題が出て、私は「数学は音楽に似ている」とすぐに思いました。
数学と音楽の類似性。そのときに私が思い浮かべていたのはバッハでした。バッハの音楽はその至る所に精妙な規則性を感じます。しかしその規則性というのは決して自動的・機械的なものではありません。自動的にぱぱぱっと作れるものではないし、機械的に大量生産できるものでもないのです。
数学と音楽の類似性についてさらに思ったのは、人間との関係についてでした。作曲家のように新しい音楽を生み出す人がいます。また、演奏家のように楽譜を読み取って演奏という形で音楽を生み出す人もいます。そしてまた、新しい音楽を生み出すわけではないし、演奏もそれほどできないけれど、自分なりに音楽を楽しむ人もいます。そのような音楽との関わりは、数学にもあるんじゃないかなと思ったのです。
研究者、数学者として新しい数学を生み出す人がいたり、数学をしっかりと教授できる先生がいたり、そしてまた新しい数学を生んだり人に教えたりはできないけれど、自分なりに数学を楽しむ人もいます。そのような、数学とのさまざまな関わりがあるのは、音楽との関わりとそっくりじゃないでしょうか。
「数式」の類比として「楽譜」を持ち出すならば、さらなる類似性を見出すこともできます。ある段階より先になると、数式を読まずに数学を理解することは不可能になります。それは、楽譜を読まずに音楽を演奏することが不可能であることに似ています。数式を楽譜になぞらえて考えるなら「数式を出さずに理解する◯◯」の限界を理解しやすくなると思ったのです。
私が中学時代に習った音楽の先生は、生徒に向かってこんなことを言っていました(正確な言葉遣いは覚えていないので、表現は私によるものです)。「音楽の時間に音楽をやって終わりではない。音楽教師の前でだけ音楽をやって終わりではない。そうじゃなくて、学校を卒業して何年経っても、音楽に親しみ、音楽を演奏し、なんだったら自宅で仲間といっしょに音楽を楽しむ。そうあってこその音楽なのだ」と。
きっと、数学も同じだと思うのです。学校を卒業して何年経っても、数学に親しみ、数学を考えたり、数学の問題を解いたり。なんだったら仲間といっしょに数学を楽しむ。そうあってこその数学じゃないでしょうか。
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私はここ十数年、数学に関わる本を書いてきましたし、これからも引き続き書いていくつもりです。『プログラマの数学』の第1版の刊行が2005年、『数学ガール』の刊行が2007年ですね。
私自身は数学者ではないし、新たな数学を生み出している研究者でもありません。また数学教師という肩書きで仕事をしている立場でもありません。しかしながら、私は一人の数学愛好者として、私なりに学び、自分にできる「本を書く」という仕事を通して数学の魅力や学ぶことの魅力を伝えたいと願っています。
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今日はそんなところです。
また、お便りしますね。