時間で区切るということ
こんばんは、結城浩です。
晩ごはんと家族のだんらんも終わり、いまは家族がみんなそれぞれにゆっくり過ごしている時間です。
あなたは、いかがお過ごしですか。
今晩は家で餃子を焼きました。最近、餃子を作る経験値が上がり、かなりうまく焼けるようになったので、作るのが楽しくなってきました。またいつか、私の餃子の作り方をお知らせしましょう。
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今日は月曜日なので、一日ずっと結城浩のメールマガジン(https://link.hyuki.net/mm/)を書いていました。今回でVol.444になります。一年は52週あるので割り算するとざっと8年半書いてきたことになりますね。長い。
大昔、会社に行ってた時代、月曜日はすごく嫌な曜日でした。でも現在はまったく嫌な曜日ではありません。
月曜日はメールマガジンを書くと決めているのでやるべきことがはっきりしています。私しか書く人はいないし、書き終われば仕事も終わり。シンプルな仕組みですね。仕組み?
それに、8年半も同じペースで書いてきましたから、どれだけ時間を掛ければどんなふうに着地するかは予想がつきます。実績に裏打ちされた予想はあまり外れることがありません。それもまた、月曜日が嫌な曜日ではない理由かも。
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最近、作業をするときには「時間で区切る」か「成果物で区切る」かをよく意識します。「時間で区切る」というのは、一定時間が過ぎたらできてもできなくても終わりにするということ。「成果物で区切る」というのは、その成果物ができたら終わりだけれど、できなかったら時間をいくら掛けてでも完成まで持っていくということ。
時間で区切る作業は、比較的淡々と進み、感情の起伏はあまりありません。やればいい。やれば進む。時間が来れば終わる。そういう感じですね。
それに対して成果物で区切る作業は、感情の起伏が激しくなる傾向があります。盛り上がるときは盛り上がるけれど、焦るときは焦る。まずいまずい、こんなに時間が経ったのにまだできないよ!みたいに。
結城の一週間で、月曜日は結城メルマガを書き、木曜日はWeb連載を書くというルーチンワークがあります。どちらも、書き上げなくてはならないという意味では「成果物で区切る」になりますが、その日いちにちという制約があるという意味では「時間で区切る」になりますね。
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めんどうな家事があったとします。たとえば食器の洗い物。そのときに「一つ一つがきれいになるまで洗う」というのは「成果物で区切る」考え方でしょう。それに対して「スポンジで十回こすったら次に進む」というのは「時間で区切る」ですね。
「スポンジで十回こすったら次に進む」だと、きれいにならない可能性があります。でもそこはいったん目をつぶり、どんどこ次に進む。次に進めば進捗を感じることができる。進捗を感じることができれば楽しくなる。そのように好循環が回り出すと、すでにその家事はめんどうではなくなっています。
記憶で書いているので不正確かもしれませんが、大部の辞書(あるいは事典だったか)を作ろうとしたある学者の話。ひとつの項目を一定時間調べてわからなかったなら「詳細不明」と印を付けて次の項目に進んだそうです。まさに「時間で区切る」方法です。
ひとつの項目の品質を上げることを試みたり、不明点を調べるために時間を注ぐのはいいけれど、そこに時間を掛けすぎると全体が進捗しません。なので一定時間で見切りを付けて次に進む。その「一定時間」はどのくらいが適切なのかを見極めるのは難しいですけれど、全体の進捗を上げ、全体を完成に近付ける工夫のひとつといえそうです。
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今日の私は、そんなことを考えています。
今日のあなたは、どんなことを考えていますか。
お時間があるときにでも、お返事をいただければうれしいです。
それでは、また。
そして、いまから私は餃子のお皿を洗うのです!
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追伸:そういえば「時間を区切る」作戦の話は以前「結城メルマガ」のVol.364(https://link.hyuki.net/mm364)に書いたことがありました。今日のメールとはやや違う話ですけれど。