鹿の声と地下の空間

こんにちは、結城浩です。

ここ数日、妻と秋の旅に出ていました。早朝の山道を二人で散歩していると、遠くから鹿の鳴き声が響いてきます。

奥山に紅葉ふみわけ鳴鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき

(よみ人しらず 古今和歌集215)

あんなふうに鳴く鹿の声を聞いたのは初めてのことでした。

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「わかりにくさ」というものについてよく考えます。といっても、いわゆる説明文のわかりにくさとは違います。説明が下手でわかりにくいという話ではありません。そうではなくて、本質的にわかりにくい話。本来的に整理のつけようがない話。そんなわかりにくさについてよく考えています。

先日、香山哲さんの『ベルリンうわの空 ウンターグルンド』というコミックを読みました。コミックを紙の本で買うのはめずらしいのですが、この本と前作の『ベルリンうわの空』は紙で買ってみました。このコミックはやや不思議な作りになっていて、香山さんが経験したことと創作とが入り交じった形で描かれています。単純に要約すると「ベルリンの地下の空間で、とある活動をする人たちの物語」なのですが、そこまで要約してしまうとおもしろみがうまく伝わりませんね。

何かを読んで気づいたりわかったり、疑問や違和感を感じたり、不明瞭なまま記憶に残ったりすることも、この漫画を読んだ「あなた固有」の経験だと思います。

香山哲『ベルリンうわの空 ウンターグルンド』あとがきより引用

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私は、わかりやすい説明文を書くのが好きです。『数学文章作法』という、正確でわかりやすい文章を書くための本を書いたくらい好きです。読者さんが「なるほど」といいたくなる文章を書くのは大きな喜びなのです。

その一方で、私はしばしば、そうではない種類の文章にもひかれています。ことさらに、わかりにくい文章を書きたいわけではありません。「ああ、この話はこういうことを言ってるんだね」とすぐにはいえない。けれども、なぜかおもしろい。そういう種類の文章に関心があるのです。

もともと、物語はそういうものかもしれません。だってそうですよね。物語を要約してしまうと、単なるあらすじになってしまい、たいせつな部分は全部失われてしまいますから。

本質的に要約できないような文章に興味があるともいえます。そのような文章のことを「説明できないおもしろさ」や「理由のわからない魅力」などと呼んだこともありました。そういえば、結城メルマガにも「魅力」に関する文章を何度か書いていますね。

そうか。考えてみると、わかりやすいかどうかは重要な要素ではありません。説明できない種類のおもしろさや、要約できないおもしろさに関心があると書けばよかったんですね。要約すると失われてしまう種類のおもしろさに関心がある。そう言ったほうが正確でした。

このメールを書いているうちに思い出してきましたよ。このような魅力のことを以前は「大きな素数」と呼んでいたこともありました。大きな素数は素因数分解を許さない。より正確には、それ自体で既に素因数分解が終わっているので、それより小さい素数に分解することを許さない。そんな魅力について関心があるのです。

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これはあくまで想像ですけれど、そのような文章を書く方法の一つは、自分の中に題材を深く沈めて引き上げる。そんなふうにして書くことじゃないでしょうか。最初からわかりやすい筋書きを作ってから書くのではなくて、自分という存在全体を使って書く。そんな仮説を持っています。

一つ一つを説明してもしょうがなくて、全体を丸ごと体験して初めてそのおもしろみが伝わる。そんな文章に関心があります。そんな文章は「恋」に似ています。恋をしている状態は「恋をしている」と要約できますが、その要約を聞いたからといって特に何もおもしろいわけではありません。その渦中にいて、どこへ行き着くのだろうと恐れと喜びとを抱きながら進んでいく。そこに大きな魅力があるのではないでしょうか。

先日の散歩で聞こえてきた鹿の声と同じように。

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今日の私は、そんなことを考えています。

今日のあなたは、どんなことを考えていますか。

気が向いたときにお返事をいただければ感謝です。

それでは、また。