結城浩のメール日記

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読者の手に渡すということ

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読者の手に渡すということ

結城浩
Sep 22, 2020
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読者の手に渡すということ

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こんにちは、結城浩です。

今日は比較的涼しい一日ですけれど、台風が近づいているせいか、空気は重たいですね。不穏な風も吹いています。

あなたは、いかがお過ごしですか。

 * * *

これまで結城が書いてきたWeb日記やちょっとした文章などを、どうまとめたらいいか。そんなことをよく考えます。Webに文章を書き始めたのは1993年なので30年分近い文章がありますからねえ。

本についてはあまり気にしていません。私にとって本は「まとまったもの」ですし、すでに読者さんの手に渡ったものですから。いま考えているのは本になったもの以外の文章の話です。

文章をまとめてどこかのWebサイトに置くというのは、解決方法にはなりません。というのは、Webに置いたものはいつか消えるからです。どのドメインのどこに置いたとしても、いつかは消えます。突き詰めて考えればこの世のすべては消えるのですが、まあそこまで行かなくても、Webのリンクはすぐに切れてしまうという意味です。

私がいましっくりくると感じる方法のひとつは、DRMなしのPDFにしておく方法です。それが以前から少しずつ進めている「結城浩ミニ文庫」になります。厳密にいえばPDFファイルだって、いつまで読み続けられるのかという問題はありますけれど。

私が「しっくりくる」と感じる理由の一つは、PDFファイルとして読者の手に渡るからです。PDFという形にしてWebとは分離しておく。さらに言うならば、PDFという形にして「私」と分離しておく。ちょうどそれは、読者の手に渡った本が「私」と分離しているのに似ています。

私の手を離れて、読者の手に渡す。ここが大事です。読者の手に渡った後は私の管轄外であり、読者の自由です。その感覚がしっくりくるのだと自己分析しています。

そのようなことを考えて、山ほどある文章、たとえば「結城浩の日記」を年単位にまとめたらどうだろうか、というのはずっと考えています。しかし、話はそんなに簡単ではありません。以前、網羅的にやろうと思ったのですが、非常にたいへんであることに気付きました。

分量が多いし、少しでも編集し始めたら時間を使うし、現代になっては意味がないものもあるし、作業はいつまで経っても始まりません。始まらなければ終わりません。

だから、何かしらの軸、編集方針が必要になります。まとめるための基準となる何かです。しかし、言うは易く行うは難し。ですから、いまだに実現できていないのです。

 * * *

今日の私は、そんなことを考えています。

今日のあなたは、どんなことを考えていますか。

気が向いたときに、お返事をいただければ感謝です。私は「読者の手に渡すということ」を書きましたけれど、それとは関係なくても構いません。あなたが考えていることを書いてくださればうれしいです。

おっと、そろそろ晩ごはんの支度をしなくては。

それでは、また。

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